幕府も新政府もキライ
会津のコンテンツがある割りに、会津の事を誉めてんだか貶してるんだか、判らない事ばかり書いている私ですが、私は会津にはもう何度行ってるか判らないほど魅かれています。でも誉めきれないのは苛立ちがあるからです。私の知ってる僅かな福島県人は皆とても真面目で勉強家です。人当たりのいい、穏やかな人が多いです。 私が一番嫌いなのは徳川慶喜です。あんたがもっとしっかりしていれば・・・と思う事が多過ぎるのです。器がないなら最初から辞退しろって。その一番嫌いな人物に振り回されたのが会津なのです。器のない人物が幕府の長になったと言うだけで、振り回されてしまったのが口惜しいのです。腹立たしいのです。舐めなくていい辛酸を舐めさせられて、幕府に怒りは感じないのですかと。薩長だけですかと。純真に使える気持ちを利用した幕府にも怒っていいと思うんですけどね・・・。それは私が会津の家訓に馴染んでないせいでしょうか。

私は生まれも育ちも武州多摩郡。そう言えば父の戸籍には生まれが「東京府北多摩郡×××村・・・」と書いてあったっけ。私の父は地元の人で、地域には同じ姓がうようよいて、本家は名だたる大地主(今はもう絶えてしまいましたけど)。祖父は訳ありの分家で、父は更に家から出た存在なので、父亡き今、私の実家に地元意識は皆無です。私は最近になって今住んでいる場所の、地元意識の強い人達の様子を見て「あ〜私も実家に帰れば地元の人だ」と思った次第です。多摩人気質と言う意味では私も近藤勇達と同じかもしれません。確かに結構保守的だけど守りの攻めはする方です。だから今もその血が受け継がれているのか、薩長よりは幕府の方が理解しやすいです。新選組の気持ちが理解出来るのも「それ」かもしれないです。その私が会津に云云言うのは大間違いでしょう。でも・・・。あー会津の方々ごめんなさい。でも私が一番会津に魅かれるのはそれでもあるかもしれないです。間違っていたとしても、忠義を尽くすと言う信念は絶対に曲げなかった。ただその忠義を尽くす相手がそれに相応しくなかった。それだけの事です。それがとても口惜しいんですけど・・・。
2006/06/21